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【岩手】「信仰心への矜持、信仰を大切に思うからこそ」黒石寺蘇民祭 なぜ絶える?信仰を守り抜くための決断(1)

501 :
名無し
03/31/24(Sun)19:50:16 そうだねx0 
厳冬の真夜中、裸の男たちが「蘇民袋」を奪い合い五穀豊穣や無病息災を祈るお祭り「蘇民祭」。

1000年以上続くとされる伝統の祭りだったが、担い手不足から、ことし2月を最後に、惜しまれながら歴史に幕を閉じた。

なぜ終了を決断せねばならなかったのか。取材を進めると、裸の男たちが躍動する場面とは別のところに祭りの“核”があり、守り抜いてきた信仰を大切に思うからこそ、そう決断をせざるをえなかった実情が見えてきた。
(盛岡放送局 ディレクター 山本恭一郎)

【中略】

会見で住職が語ったのは、祭りの担い手が高齢化し、人手が足りないという実情だった。

しかし、あれだけの参加者と活気のある祭り。若い担い手は集めようと思えばいくらでも集めることは可能なのではないか?

●秘められた「仏の遣い」たちの存在
私たちが問いをぶつけたのは、他ならぬ黒石寺蘇民祭の終了を決断した藤波大吾住職(41)。

2018年から先代を引き継いで黒石寺の住職となった。

藤波住職によれば、蘇民祭の「核」は裸の男たちが躍動する場面とは別にあるという。

・黒石寺 藤波大吾住職
「確かにお祭りに来てくださる方、関わってくださる方は多いです。けれどお祭りの核を担ってくれる人がいない。そこは替えがきかない部分なんです。例えばお祭りの前から、儀式に使う木を山から切ってくるとか、蘇民袋を作るとか、袋の中に入れるお守りを作る、そういう外には見えない作業をしている人たちがいます」

住職がいう「核」を担うのは、黒石寺の檀家たちだ。

黒石寺の檀家は14軒と少なく、さらにそのなかでも「門前」と呼ばれる10軒の檀家たちが主となってこの核の部分を担ってきたという。

【中略】

代々、こうした儀式の仕事は檀家10軒のみに割り振られ、親から子に口伝のみで受け継がれてきた。
その仕事を担う檀家が高齢化するとともに、10軒の半数近くに跡取りがいないという現状がある。
檀家の中での継承ができなければ蘇民祭は終了せざるを得ない運命にあったのだ。

1000年も続いてきたお祭りを途絶えさせるのは、あまりにも残念だ。そして排他的だという意見もあるかもしれない。
しかし仮に、来年から檀家がやってきた儀式を崩してでも祭りの継続を優先させるとしたら。

檀家の立場を想像すると「それでは、いままで何代にもわたって厳しい信仰を引き継いできた努力はなんだったのか?」という思いが起こるのを推察せざるを得ない。

今回の終了の判断は、むろん蘇民祭を粗末に扱った結果ではなく、むしろこれまで守り抜いてきた信仰心への矜持、信仰を大切に思うからこそ、断腸の思いで決断したのではないかと感じた。

続きはNHK 2024年3月28日 11時48分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240328/k10014398441000.html
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